自助の心を支える共助システム

2006年、 グラミン銀行 の創始者であるムハマド・ユヌス総裁がノーベル平和賞に選ばれて以来、低所得者層に経済活動資金の借入機会を提供し、仕事や生活の改善を支援するマイクロファイナンスが世界中で広がりました。グラミン銀行は5人一組の連帯責任のグループ貸付制度が成功要因と言われてきましたが、それを制約条件と嫌がる借り手や他の借り手に返済を押しけるタダ乗りなど、マイナス面も指摘されています。

以前、このマイクロファイナンスを調べているときに、江戸時代の二宮尊徳翁が「五常講」という制度を作り、600を超える農村を再建したことを知りました。これは、無利子・無担保で少額融資を行い、返済したあかつきには恩に報いる意味で農民が自主的に2回分多く支払うことを基本としていたそうです。返済された資金は他の農民に貸し付けられ、融資を受けた農民も劣等感を抱くことなく、自立と労働に向けたモチベーションを維持できる仕組みになっています。もちろん、尊徳翁は自ら報酬を受けることはありませんでした。

この「五常講」の一つひとつが実に人間共同社会の核心をついており、私たちが見失った大切なことを再認識させてくれます。五常講は、多少でも余裕があれば困っている人のために資金を差し出すことを「仁」、借りたお金は必ず返すことを「信」、借りたお金は自主的に正しく返済することを「義」、返済したら感謝を冥加金や貸付金などの行動で示すことを「礼」、どうすれば迅速確実に返済できるか工夫することを「智」の五つのルールで運営されたそうです。

まさに、「道徳なき経済は罪、しかし経済なき道徳は寝言」という尊徳翁の現場主義を具現化した仕組みですが、ここで大切なのは、共助システムが成立するには、ベースに自助の心と道徳が必要ということではないでしょうか。冒頭のマイクロファイナンスが増えると、金利競争や不正融資が増えるでしょう。また、NGO、ボランティアなど共助システムを運営すると、やってもらって当たり前、配分が不公平、と不平不満をぶつける被支援者が現れ、運営側を困らせることがあります。せめて自分たちができることは自分たちでも手伝うといった非支援者が多い活動は、建設的で多くの協力者が現れます。

尊徳翁の五常講は日本的な感覚がもとになっているものの、人間社会のルールとして普遍性が感じられます。社会保障制度を中心に限られた社会資源で公助や共助のシステムを再構築する時代を迎えるにあたって、こうした自助の精神と道徳をどのように考えていくか、我々は大いに参考にすべきではないでしょうか。

新元号・令和スタートの報道に触れて

新元号・令和のスタートに際し、多くのメディア報道や街頭インタビューで、「平成は災害が多かったので、安寧な時代となって欲しい」との声が聞かれました。多くの人々が新元号をひとつの「時代」の単位と感覚的に捉えていること、算盤の「ご破算で願いましては」の如く「仕切り直し」の意識が強いことに私は驚きました。

戦後、法律上の根拠なく公文書等に元号を使用続ける状態が続き、天皇が交代した後も元号を使い続けるのかどうかを明確にする必要が生じたため、1979年(昭和54年)に元号法が制定されました。この元号法では、元号は政令で定めること、元号は皇位の継承があった場合に限り改めることの二点だけが決められています。元号とは何かという定義や解釈はありません。

当時は天皇制や自衛隊の議論自体に反対・抗議が集まる雰囲気でしたので、旧皇室典範で決められた事項など天皇制の本質にかかわる議論は政治的に避けざるを得なかったのでしょうか。ただ、元号法の審議過程をWebで追いかけてみると、日本国憲法に立脚した象徴天皇制に振り切ったわけでもなく、日本は天皇の国であるという旧来の考え方を堅持したい考え方も一部の方々にあったように読み取れます。

君主(皇帝、天皇、国王)の在位中には元号を変えない方式を「一世一元」といいますが、 日本が導入したのは明治以降で、それまでは大きな災害が起きると変更したり、先代の元号を継続したりすることもあったそうです。元号が天皇と共に生まれ、天皇とともに終わるのは、日本古来の伝統という解説も耳にしましたが、それほど古くからの明確な決まりではないようです。

そうした宙ぶらりんの状況で、新元号・令和を次の「時代」と捉える社会の共通理解が自然発生的に報道されたことを面白く感じました。専門家が登場して元号の歴史的意味や目的を解説するまでもなく、同じ方向で表面的な記号にイベント化してまうところが現代の日本社会の「軽さ」や「怖さ」といえるのではないでしょうか。

それ以上に私が興味を感じたのは、上皇・上皇后への感謝とともに、平成の出来事を清算し、新たなスタートとする報道やインタビューが多かったことです。歴史や伝統、過去からの反省と学び、といいながら、日本の社会はそうした地道な努力にエネルギーを注ぐのが嫌いで、そのときの空気感やムードで適当に動いてしまう子供っぽい性格を抱えていると私は感じています。

例えば、上皇・上皇后や天皇・皇后が心血を注いでこられた災害被害者の精神的支援など、時間的・歴史的に続いている課題がたくさんあるのですから、「これまでの努力が無駄にならないよう天皇・皇后を中心にして一層の支援に力を合わせたい、それが上皇・上皇后への感謝であり、社会の進歩である」といったコメントがあっても良いはずです。でも、そうした意見はあまり聞かれませんね。

今までの辛いことは忘れて良い時代にしましょうといった極端な報道やインタビューこそありませんが、制度や問題の本質を直視せず、表面的な言葉でわかった気になったり、何とかなるさの楽観論に逃げ込んだりする軽さが鼻についてなりません。このブログでなんども触れましたが、平成の30年間は昭和後半に気付いた社会構造の変革対応に蓋をしてきた失策の時代でした。お祭りムードはそろそろ終わりにして、脇を締めた将来論に移って欲しいと希望します。

巧詐は拙誠に如かず

GW中なので少し軽めのエントリーにします。年齢を重ねると説教が多くなって嫌がられるのですが、自分の足りなさを振り返ると、なるほど昔の人は適切な教えを残してくれたのだと納得します。タイトルの古語「巧詐は拙誠に如かず」は最近はあまり耳にしませんが、韓非子(説林上)に登場する有名な言葉です。「相手や周囲を巧みに欺くのは成功しているように見えても、つたなくても人間の素直な感情に根差した誠実な行動にはかなわない」という意味に解されます。では、この古語の全体を紹介します。

魏の将軍楽羊が中山を攻めました。中山の君主は人質に取った楽羊の子を煮殺してスープにして楽羊に送ったところ、 楽羊は自陣でこれを一杯食べ尽くしました。 魏の帝である文侯が 「楽羊は私のために我が子の肉を食って戦意を示しくれた忠臣だ」 といったとろ、それを聞いた重臣が 「自分の子でさえ食べるなら、誰の肉なら食べないとは言い切れないでしょう」 と答えました。楽羊は中山から帰還し、 文侯はその功績を称えたましが、楽羊の忠誠心を疑うようになりました。

もう一話。孟孫が猟をして小鹿を捕らえ、部下の秦西巴に持ち帰らせました。しかし、 小鹿の母親があとを追い、悲しげに鳴いたので、秦西巴は憐れんで母親に小鹿を返してしまいました。 やがて帰宅した孟孫が秦西巴に小鹿を求めたところ  「私は憐れんでその母親に返してしまいました」 と返答したので、孟孫は怒って彼を解雇しました。 しかし、その3ヶ月後、孟孫は秦西巴を召し戻して自分の子の教育係に任命しました。 「一度は彼を罰したのに召し戻してお子様の教育係にしたのはなぜですか」 と尋ねる部下に 「小鹿をも憐れむ人間がどうして私の子を大切にしないだろうか」と孟孫は答えました。

この話、忠臣とみられるようにパフォーマンスに走った楽羊は功績があったのに信用されなくなり、 動物の親子の情にほだされた秦西巴は命令違反があったのにますます信用されるようになりました。人の心を繰ったり、自分の立場を守るための言葉は、どれほど立派に見えても、人の心に届きません。これに対し、人間の情や相手への思いやりからの言動は、拙劣に見えても他人の共感を得ます。「巧詐は拙誠に如かず」とは、こうした人間社会の大人の価値観を教える言葉で、政治・行政、企業経営、個人生活のいずれでも大切に守られるべき行動規準だと思います。

私は入院中なのでTV番組もぼんやりながめてますが、若いタレントが大袈裟に褒めるグルメ番組とか、インスタ映えを物事の選択基準におく若い女性の話などに接すると、日本の将来を心配に感じます。食事は自分の体を作るための大事な仕事で、グルメや大食いの「遊び」にしてはいけません。我々は戦後の欧米式栄養学の影響で栄養バランスやカロリーを疑いませんが、本当はその土地に根差した食材で戦前の農家のお母さんが作った食事が一番よいのです。12~15歳くらいまでそうした食事で育てれば、その後はどんな食事をしても健康を害するリスクは低くなると、詳しい方から私は教わりました。私の人生での大いなる反省であります。

かなり私流の拡大解釈ではありますが、  「巧詐は拙誠に如かず」は、もっともらしい表面的な強さや美しさではなく、人間の心に根差す真の価値を共有する重要性を説く言葉と理解しています。表現は拙いけれど誠実さや愛情が伝わる言動、知名度の高いリーダーよりも弱者を支える市井の篤志家、政治や法律が動く前に社会の利益を考え自主的に改善する行動、スーパーやコンビニではなく多少の不便さを楽しむ心の余裕、見栄えも派手さもないけれど昔からある食事といった原点回帰の大切さが現代流に解釈されて、今の世代のみならず次の世代にもしっかり伝わる社会になって欲しいものですね。