社外取締役の業務執行への関与

法務省の法制審議会会社法制(企業統治等関係)部会で、社外取締役の行為の業務執行該当性に関する審議が行われています。http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi0490088889.html

現在の会社法では、取締役が会社の業務を執行すると社外取締役の要件を満たさなくなるルールになっています。「継続的に業務に関与したり、業務執行体制に従属的な立場で業務に関与したりせず、その独立性を失わなければよい」と狭く解釈する見解もありますが、大方の解釈は「会社事業の諸般の事務に関与する行為のすべてを含む」とします。

現行法のルールについてそれではあまりに窮屈なので、合理的な理由があり、かつ取締役会の特別の監督が働く範囲であれば規律を緩和しようというのが審議の趣旨です。正確にいうと、「株式会社と常勤取締役の利益が反する状況がある場合において、社外取締役が業務に関する行為をすることが相当と認められるときは、取締役会の決定によって社外取締役にその行為を委託することができるようにしてはどうか」という規律の改正が検討されています。

私も上場企業の社外取締役を6年間経験しましたが、「社外取締役は独立した監督の立場なので業務執行に関与してはならない」というルールは、企業経営の実情にそぐわず、一種のドグマとでもいいますか、いささか教条主義的になっているのではないかと感じます。例えば、経営会議や常務会に無議決権で参加して実質的な審議に加わったり、コンプライアンス委員会や内部監査会議の議長を務めたり、重大不祥事の対策本部のアドバイザーを引き受けたりすることは、いずれも許容されてよいと感じています。

特に倫理、不祥事、内部監査の本質的な要因は、経営トップの姿勢や組織風土にあるケースが多いので、問題の握り潰しや改善の不徹底を防ぐ意味でも、社外取締役の介入が有効です。その社外取締役の性質、行動傾向、社長からの独立性等にもよりますが、常勤取締役による密室会議よりはましだと思います。

さて、時間を惜しんで競争している企業にとって、業務執行機関で決定した計画等を取締役会でストップされることは企業価値を阻害する要因となりかねません。危機対応の場面では、社外取締役への事後報告で判断ミスが指摘されても手遅れです。それならば早い段階から社外取締役にも参加してもらい、知恵と監督を提供してもらった方が助かりますし、それでこそ社外取締役と常勤取締役との信頼関係が築けます。

私の経験をいえば、業務執行機関で決定した計画等を取締役会のタイミングでひっくり返す影響を考え、100のところを50に遠慮して発言することもありました。断定的な計画まで詰める前に複数の選択肢を含めて取締役会に上程すればよいではないか、との意見もあるかもしれませんが、抽象的な内容では検討ができず、意見交換会に終わってしまいます。業務執行機関の具体的な提案説明に対して、社外取締役が弾劾的な質問を浴びせて、初めて取締役会の決定が成り立ちますので、審議に耐えられる上程内容が必要です。

つまり、会社の事業・業務や経営幹部の考え方に詳しくない社外の人間(社外取締役)が監督するのですから、取締役会の機会だけでは十分な検討やバランスのとれた総合判断が難しいと思います。そうであれば、業務執行の段階で社外取締役に貢献してもらう余地を広く認めませんと、結果的にステークホルダーのためになりませんし、経営における社外取締役の貢献にブレーキをかけることにもなりかねません。年間に何百万、何千万円も報酬を払うのだから、月一回の取締役会だけではペイしないというあたりが経営者の本音ではないでしょうか。

冒頭に紹介した法制審議会の審議内容は、「社外取締役が業務執行に関与することは制度の基本設計に反する」という考え方にまだ固執しすぎていて、中途半端な緩和策に終わっている印象を受けます。社外取締役が独立した監督の立場を失わないことを条件に、業務執行の場に参加できる余地を最大限広げる方向で法改正や解釈変更を進めていただきたいと私は希望します。

山本周五郎の小説「百足ちがい」

企業組織内で不適切な行為が生まれる背景のひとつに、社員を過度な競争意識に導く、組織固有の見えない行動規範があります。規則通り丁寧に仕事をしたり、十分な確認や調整を心がけると、どうしてもっと効率よく量をこなせないのか、と無言のプレッシャーがかかるのが、普通の組織だと思います。

そのプレッシャーに負けると、踏むべきステップを省略したり、嘘の報告を上げたり、それを隠すためにデータを偽装したりする、不祥事の芽が生じます。不条理な扱いにどのようにして上手に耐えるかも、組織で働く人のコンプライアンスなのです。そもそも勝ち負けの論理で人の心を繰るのは安易な方法で、マネジメントとして失格だと思います。

作家の山本周五郎の小説「百足ちがい」(新潮社文庫『深川安楽亭』収録)は私の好きな短編のひとつです。寺の和尚に預けられ、「どんなことがあってもおこるんじゃねぇ、誰かにぶっくらわされても三日、三十日、三ヶ月、三年と我慢するんだ。それでも承知できないときは相手のところへ行ってその魂胆をきくだあ。それでてえげえのことはおさまるだぁよ」とたたき込まれます。出世の遅れに焦りを感じるも、三十歳までじっと待てと諭されます。

主人公が大人になり、三年以上我慢して、どうしても肚に据えかねた五人を一人一人訪ねたところ、彼らは堕落したり、出奔したり、死んだりして、全員がダメになっていました。主人公は、我慢が過ぎると人から笑われ、「一足ちがい」にあらず「百足ちがい」と渾名されますが、悠々とやってきたおかげで、三十歳を過ぎて側用人に召し上げられ、素晴らしい縁談も調います。

寺の和商のセリフが心にしみます。「じたばたしたとって、春が来ねば、へえ、花は咲かねえちゅうこんだ。落ちついてやるだよ。そうだ。なにもせかせかすることはねえだ。ゆっくり腰据えて、するだけの事をこつこつやっとれば、それだけのものは、いつか、必ず、身にめぐって来るのだ。」「みんなが出世する、…したかするがいいだ。なに構うべえ、みんなはみんな、おめえはおめえよ、…人それぞれ世はさまざま、宰相もいれば駕籠かきもいるだあ」

会社員の皆さん全員がこんな気持ちで働けたら、私のようなコンプライアンスのコンサルタントは失業するでしょう。でも、その方が社会にとって幸せに違いありません。私たちが無意識にすり込まれた価値観や行動規範のうちのなにが、泰然と構える生き方を邪魔しているのでしょうか。「大学卒業」が必ずしも良い就職に結びつかなくなり、さらに結婚、子育て、老後といった将来への不安も要因のひとつだと思います。

でも、自分の生き方を大事に考え、仕事との距離感をはかる人が増えてきたら、日本の企業も変わると期待しています。企業のコンプライアンスは、注意深く丁寧に働くことに対する組織と自分の考え方が大きく影響すると思います。

我慢・忍耐とS.O.S.の線引き

9月1日の新学期を迎える直前に、「無理に学校へ行かなくてもいい」「逃げてもいい」「死なないで!」と、児童・生徒に呼びかける声がWebサイトで次々と挙がりました。林芳正文部科学大臣も、会見で「決してあなたはひとりぼっちではない。誰にでもいいので悩みを話してほしい」と子供たちへ呼びかけたました。こうした発言対して、正直なところ、私は違和感を感じます。

学校・教育委員会の対応センスと透明性、子供がアクセスしやすい駆け込み寺の不足、そして後を絶たない残念な結末と課題は残るものの、切羽詰まった状況の児童・生徒の存在を公に議論できるようになったのはひとつの進歩だと思います。でも、単純に学校をさぼりたい子供に学校軽視の風潮を生まないでしょうか。児童労働で学校に行けない途上国の子供が聞いたら、どのように思うでしょうか。

数か月前に、お客様の依頼で、セクハラ被害を申し立てた入社2年目の女子社員と面談しました。入社してから上司のセクハラを何度も受け、2回も部署を異動してもらったものの、また最近、我慢できない侮辱を受けている、という申告内容でした。本人から聞いた3名の上司の言動は、センスの悪い20年前のジョークの類で、セクハラというほどのものではありません。

私は、女子大講師を務めていたのときを思い出し、本人に次のように話ました。
・ 社会や組織は、価値観・品位・言葉の違う人間の共同生活のようなもので、自分との違いを受け入れなければ、相手もあなたを受け入れない。
・ 一定の我慢や忍耐は必要だし、できれば相手を理解して受け入れる努力があなたの人生を豊かにする。
・ 3名の上司があなたに何を提供してあげたかったか想像して欲しい。それができたとき、心の底から自由を感じ、自分を好きになれるはずだ。他人のせいにして逃げるのはもうやめよう。

この本人は現在、職場や上司とも馴染んで、普通に働けるようになったと聞いています。この事例は、承認欲求が満たされない本人の不安が環境への不適応を生んだケースと私は理解しています。そして、被害の主張で自分を正当化し、周囲から見れば、上司と折り合いをつける姿勢もなく、我がままを言いたいほうだいの「お子ちゃま」に映ったのだと考えました。

私は、組織で働く人々には我慢と忍耐が必要だと思いますが、過労自殺やハラスメントによるメンタル疾患など悲劇的結末があるもの事実で、両者の線引きが非常に難しい問題です。特に親の庇護から巣立とうとしている若年者には、この組織や職場に受け入れられていると安心させたうえで、自分の意志で生きていく現実、生かされている自分を感じてもらい、現実社会に根っ子を据え付ける必要があります。そのうえで我慢と忍耐を教えませんと、ポキッと折れてしまいます。

学校も仕事も「無理に行かなくてもいい」「そんなに頑張らくなてもいい」と言いすぎると、自助の精神を失った怠け者の社会に転落するのではないでしょうか。もちろん、児童・生徒を助けたい方々の意図は理解していますが、言葉は自分の都合のいいように使われ、社会のムードを作るので、細心の注意が必要です。まず我慢と忍耐、このままでは倒れると思ったらS.O.S.という順番が崩れないよう、情報を発信していきたいと私は考えています。