新元号・令和スタートの報道に触れて

新元号・令和のスタートに際し、多くのメディア報道や街頭インタビューで、「平成は災害が多かったので、安寧な時代となって欲しい」との声が聞かれました。多くの人々が新元号をひとつの「時代」の単位と感覚的に捉えていること、算盤の「ご破算で願いましては」の如く「仕切り直し」の意識が強いことに私は驚きました。

戦後、法律上の根拠なく公文書等に元号を使用続ける状態が続き、天皇が交代した後も元号を使い続けるのかどうかを明確にする必要が生じたため、1979年(昭和54年)に元号法が制定されました。この元号法では、元号は政令で定めること、元号は皇位の継承があった場合に限り改めることの二点だけが決められています。元号とは何かという定義や解釈はありません。

当時は天皇制や自衛隊の議論自体に反対・抗議が集まる雰囲気でしたので、旧皇室典範で決められた事項など天皇制の本質にかかわる議論は政治的に避けざるを得なかったのでしょうか。ただ、元号法の審議過程をWebで追いかけてみると、日本国憲法に立脚した象徴天皇制に振り切ったわけでもなく、日本は天皇の国であるという旧来の考え方を堅持したい考え方も一部の方々にあったように読み取れます。

君主(皇帝、天皇、国王)の在位中には元号を変えない方式を「一世一元」といいますが、 日本が導入したのは明治以降で、それまでは大きな災害が起きると変更したり、先代の元号を継続したりすることもあったそうです。元号が天皇と共に生まれ、天皇とともに終わるのは、日本古来の伝統という解説も耳にしましたが、それほど古くからの明確な決まりではないようです。

そうした宙ぶらりんの状況で、新元号・令和を次の「時代」と捉える社会の共通理解が自然発生的に報道されたことを面白く感じました。専門家が登場して元号の歴史的意味や目的を解説するまでもなく、同じ方向で表面的な記号にイベント化してまうところが現代の日本社会の「軽さ」や「怖さ」といえるのではないでしょうか。

それ以上に私が興味を感じたのは、上皇・上皇后への感謝とともに、平成の出来事を清算し、新たなスタートとする報道やインタビューが多かったことです。歴史や伝統、過去からの反省と学び、といいながら、日本の社会はそうした地道な努力にエネルギーを注ぐのが嫌いで、そのときの空気感やムードで適当に動いてしまう子供っぽい性格を抱えていると私は感じています。

例えば、上皇・上皇后や天皇・皇后が心血を注いでこられた災害被害者の精神的支援など、時間的・歴史的に続いている課題がたくさんあるのですから、「これまでの努力が無駄にならないよう天皇・皇后を中心にして一層の支援に力を合わせたい、それが上皇・上皇后への感謝であり、社会の進歩である」といったコメントがあっても良いはずです。でも、そうした意見はあまり聞かれませんね。

今までの辛いことは忘れて良い時代にしましょうといった極端な報道やインタビューこそありませんが、制度や問題の本質を直視せず、表面的な言葉でわかった気になったり、何とかなるさの楽観論に逃げ込んだりする軽さが鼻についてなりません。このブログでなんども触れましたが、平成の30年間は昭和後半に気付いた社会構造の変革対応に蓋をしてきた失策の時代でした。お祭りムードはそろそろ終わりにして、脇を締めた将来論に移って欲しいと希望します。

巧詐は拙誠に如かず

GW中なので少し軽めのエントリーにします。年齢を重ねると説教が多くなって嫌がられるのですが、自分の足りなさを振り返ると、なるほど昔の人は適切な教えを残してくれたのだと納得します。タイトルの古語「巧詐は拙誠に如かず」は最近はあまり耳にしませんが、韓非子(説林上)に登場する有名な言葉です。「相手や周囲を巧みに欺くのは成功しているように見えても、つたなくても人間の素直な感情に根差した誠実な行動にはかなわない」という意味に解されます。では、この古語の全体を紹介します。

魏の将軍楽羊が中山を攻めました。中山の君主は人質に取った楽羊の子を煮殺してスープにして楽羊に送ったところ、 楽羊は自陣でこれを一杯食べ尽くしました。 魏の帝である文侯が 「楽羊は私のために我が子の肉を食って戦意を示しくれた忠臣だ」 といったとろ、それを聞いた重臣が 「自分の子でさえ食べるなら、誰の肉なら食べないとは言い切れないでしょう」 と答えました。楽羊は中山から帰還し、 文侯はその功績を称えたましが、楽羊の忠誠心を疑うようになりました。

もう一話。孟孫が猟をして小鹿を捕らえ、部下の秦西巴に持ち帰らせました。しかし、 小鹿の母親があとを追い、悲しげに鳴いたので、秦西巴は憐れんで母親に小鹿を返してしまいました。 やがて帰宅した孟孫が秦西巴に小鹿を求めたところ  「私は憐れんでその母親に返してしまいました」 と返答したので、孟孫は怒って彼を解雇しました。 しかし、その3ヶ月後、孟孫は秦西巴を召し戻して自分の子の教育係に任命しました。 「一度は彼を罰したのに召し戻してお子様の教育係にしたのはなぜですか」 と尋ねる部下に 「小鹿をも憐れむ人間がどうして私の子を大切にしないだろうか」と孟孫は答えました。

この話、忠臣とみられるようにパフォーマンスに走った楽羊は功績があったのに信用されなくなり、 動物の親子の情にほだされた秦西巴は命令違反があったのにますます信用されるようになりました。人の心を繰ったり、自分の立場を守るための言葉は、どれほど立派に見えても、人の心に届きません。これに対し、人間の情や相手への思いやりからの言動は、拙劣に見えても他人の共感を得ます。「巧詐は拙誠に如かず」とは、こうした人間社会の大人の価値観を教える言葉で、政治・行政、企業経営、個人生活のいずれでも大切に守られるべき行動規準だと思います。

私は入院中なのでTV番組もぼんやりながめてますが、若いタレントが大袈裟に褒めるグルメ番組とか、インスタ映えを物事の選択基準におく若い女性の話などに接すると、日本の将来を心配に感じます。食事は自分の体を作るための大事な仕事で、グルメや大食いの「遊び」にしてはいけません。我々は戦後の欧米式栄養学の影響で栄養バランスやカロリーを疑いませんが、本当はその土地に根差した食材で戦前の農家のお母さんが作った食事が一番よいのです。12~15歳くらいまでそうした食事で育てれば、その後はどんな食事をしても健康を害するリスクは低くなると、詳しい方から私は教わりました。私の人生での大いなる反省であります。

かなり私流の拡大解釈ではありますが、  「巧詐は拙誠に如かず」は、もっともらしい表面的な強さや美しさではなく、人間の心に根差す真の価値を共有する重要性を説く言葉と理解しています。表現は拙いけれど誠実さや愛情が伝わる言動、知名度の高いリーダーよりも弱者を支える市井の篤志家、政治や法律が動く前に社会の利益を考え自主的に改善する行動、スーパーやコンビニではなく多少の不便さを楽しむ心の余裕、見栄えも派手さもないけれど昔からある食事といった原点回帰の大切さが現代流に解釈されて、今の世代のみならず次の世代にもしっかり伝わる社会になって欲しいものですね。

天皇・皇后両陛下が徹底されたプリンシプル

天皇・皇后両陛下のご退位の行事に際し、人々が沿道に参集し、これまでの謝意を伝える光景には率直に心温かいものを感じました。皇室全体に対する敬意というよりも、両陛下の言動から香り立つお心の深さやご夫妻で支え合うお姿に、人々が強く心を惹かれているように私は思います。

昭和天皇は戦後憲法に基づく象徴天皇の在り方を模索され、厳しい自己規定を設けて任務にあたられたことが後に書籍などで語られています。新憲法という枠組み、天皇制や皇室に対する様々な国民感情のなかで、皇室伝統の神事と象徴天皇の国事行為を区分し、後者も保守的な言動にとどめる必要が避けられなかったようです。

これに対し、現在の天皇・皇后両陛下は、ご夫妻で行動をともにされ、国民の安寧を祈り、困難に寄り添うこと、全国の地域を支える市井の人々に敬意を表し、努力をねぎらうこと、そうした象徴天皇としてのプリンシプルを在位中ぶれずに実践されてきたようにお見受けします。そして、年月を重ねるにつれ、その表情や立ち振る舞いに共感と愛情の深さが増し、人々の心をより惹きつけているのではないでしょうか。

諸外国の指導・リーダー層は、使命・価値観・行動原則といったプリンシプルを堅持し、ぶれることなく行動することで信頼と評価を受けるといわれます。昨今、ビジネスや規制の世界でもプリンシプルという言葉を使いますが、ここでの意味はもっと根本的な価値観をいいます。自立した個人が多様性を織りなす社会や組織では、そうしたプリンシプルが求心力や団結力の源泉となります。

日本の社会は、政治(特にひどい)も地域も市民生活も、こうしたプリンシプルが理解されず、むしろその時々の状況に合わせて即物的、妥協的に物事を進めるのを善しとする傾向があると思います。武士道こそが日本人の心という意見もありますが、武士道は死を辞さない覚悟で忠義にあたるという閉鎖的・内心的な考え方ですから、指導・リーダー層のプリンシプルとは少し違うだろうと私は思います。

日本は皇室による国民への祈りと愛情で支えられている、両陛下への思慕もそうした歴史的価値観に由来するとTV番組で有識者が述べていらっしゃいました。しかし、私は、皇室全般ではなく、天皇・皇后両陛下が堅持された象徴天皇としてのプリンシプル、有言実行の姿勢こそが人々の心に伝わり、強い感謝の念に結実したのだと理解しています。

両陛下から、プリンシプルの大切さ、その堅持と実践がさらに魅力となって人々を感化することを学ばせていただきました。孔子の説く徳治主義の実践を見せていただいた気もします。31年間のお役目、お疲れ様でした。引き続き充実した日々を送られんことを心からお祈り申し上げます。