天皇・皇后両陛下が徹底されたプリンシプル

天皇・皇后両陛下のご退位の行事に際し、人々が沿道に参集し、これまでの謝意を伝える光景には率直に心温かいものを感じました。皇室全体に対する敬意というよりも、両陛下の言動から香り立つお心の深さやご夫妻で支え合うお姿に、人々が強く心を惹かれているように私は思います。

昭和天皇は戦後憲法に基づく象徴天皇の在り方を模索され、厳しい自己規定を設けて任務にあたられたことが後に書籍などで語られています。新憲法という枠組み、天皇制や皇室に対する様々な国民感情のなかで、皇室伝統の神事と象徴天皇の国事行為を区分し、後者も保守的な言動にとどめる必要が避けられなかったようです。

これに対し、現在の天皇・皇后両陛下は、ご夫妻で行動をともにされ、国民の安寧を祈り、困難に寄り添うこと、全国の地域を支える市井の人々に敬意を表し、努力をねぎらうこと、そうした象徴天皇としてのプリンシプルを在位中ぶれずに実践されてきたようにお見受けします。そして、年月を重ねるにつれ、その表情や立ち振る舞いに共感と愛情の深さが増し、人々の心をより惹きつけているのではないでしょうか。

諸外国の指導・リーダー層は、使命・価値観・行動原則といったプリンシプルを堅持し、ぶれることなく行動することで信頼と評価を受けるといわれます。昨今、ビジネスや規制の世界でもプリンシプルという言葉を使いますが、ここでの意味はもっと根本的な価値観をいいます。自立した個人が多様性を織りなす社会や組織では、そうしたプリンシプルが求心力や団結力の源泉となります。

日本の社会は、政治(特にひどい)も地域も市民生活も、こうしたプリンシプルが理解されず、むしろその時々の状況に合わせて即物的、妥協的に物事を進めるのを善しとする傾向があると思います。武士道こそが日本人の心という意見もありますが、武士道は死を辞さない覚悟で忠義にあたるという閉鎖的・内心的な考え方ですから、指導・リーダー層のプリンシプルとは少し違うだろうと私は思います。

日本は皇室による国民への祈りと愛情で支えられている、両陛下への思慕もそうした歴史的価値観に由来するとTV番組で有識者が述べていらっしゃいました。しかし、私は、皇室全般ではなく、天皇・皇后両陛下が堅持された象徴天皇としてのプリンシプル、有言実行の姿勢こそが人々の心に伝わり、強い感謝の念に結実したのだと理解しています。

両陛下から、プリンシプルの大切さ、その堅持と実践がさらに魅力となって人々を感化することを学ばせていただきました。孔子の説く徳治主義の実践を見せていただいた気もします。31年間のお役目、お疲れ様でした。引き続き充実した日々を送られんことを心からお祈り申し上げます。

企業価値の源泉は経営者の知性と情熱

ノートルダム大聖堂の悲しい事故には驚きました。精神的支柱を失った方々の悲しみはいかばかりでしょう。心からお見舞い申し上げます。寄付や再建のコミットメントも良いのですが、この出来事が何を啓示するのか、自己利益と弱者排斥に逆戻りしつつある国際社会が虚心坦懐に足元を見つめ直す時間があっても良いのかも知れません。

さて、4月9日放映の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)で、ユニクロがジーンズ製品の製造方法を革新している様子が紹介されました。アパレル業界は構造的に環境・人権・労働面のCSR課題が多く、同社も日々改善に努めていらっしゃいますが、今回の放映内容は、国連SDG’sやM.ポーター先生のCSVの手本のような事例であると感じましたので、あえて本ブログでとりあげさせてもらいます。

ジーンズ製品は、綿花の栽培、生地の製造、加工など大量の水資源を使い、ダメージ感の風合いを出すための繊維の削りや化学物質の使用など対応すべき課題の多い商品です。そのため、ユニクロは、ロサンゼルスにジーンズ・イノベーション・センターを設立し、リーダーが古着屋で発掘した基準品に基づき、レーザーでダメージ加工するマスターデータを作成し、それをバングラデッシュの提携工場で製造に移行するプロセスを実現したそうです。

これまでの問題点をクリアするだけでなく、長年使い込んだ風合いをあっという間に再現する工程は圧巻でしたし、何よりも最近の機械装置や整然と配置された作業者の姿は、同じバングラデッシュのダッカでも、縫製工場が入った商業ビル「ラナ・プラザ」の倒壊事故(2103年)の映像と隔世の感がありました。サプライチェーンは急激に改善されているのを改めて実感しました。

そして私が何よりも心打たれたのは、「夢に生きないといけないんじゃないの。人間はいつ死ぬかわからないんですよ。人生は夢なの」。「世界一を目指さないと何やっているのか分からない。13万人の社員に『オリンピックに行ったら銅メダルとります』じゃ勝てない。少なくとも金メダルを獲る。それを絶対獲るんだという意志がないと勝てない」との柳井会長の言葉でした。

二宮尊徳翁に「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」という言葉があります。私は、CSRがメセナや地域清掃活動ではないことを説明する際によく引用させてもらいましたし、M.ポーター先生のCSVも言わんとするところは同じだと思います。要するに、この「道徳」を地球規模のサステナビリティ(地域・世代間の公平、持続可能な成長)でどこまで広く深く考えられるか、経営者の知性と情熱がビジネスの在り方を変革し、組織のエネルギーと企業価値を生むのです。柳井会長の言葉は、そこを率直に指摘されていると感じました。

昨今は、コーポレートガバナンスで企業価値を増加させる議論が人気ですが、本当の価値の源泉は、徹底した現実主義の経営者が、将来の変化を冷静に分析し、技術やビジネスモデルを革新する不断の努力を突き進めることにあるように思います。他社のベストプラクティスの物真似でない創造力、イノベーションを実現する組織力、あえて困難な道を切り開く勇気にこそ価値を置くべきではないでしょうか。

企業経営にとって、売上や利益は結果のひとつに過ぎません。資本コスト、資本効率、稼ぐ力を語る前に、何が世界最高水準として将来の市場を牽引できるのか、夢のある議論を重ねるリーダー、そこに集まる世界の人材、次世代の皆さんにはそんな背骨のしっかりした企業を薦めたいですね。

いま日本の国民が失っているもの

それにしても昨日のゴーン元会長のビデオレター公表の狙いは何だったのでしょう。推定無罪の刑事裁判とはいえ注目すべき具体的事実もなく、かえって世間を敵に回した印象です。母国のフランスでもネガティブな報道があるようです。

入院中の読書で多くの学びを得ていますが、なかでも江崎禎英著「社会は変えられる 世界が憧れる日本へ」(図書刊行会、2018年)に大きな刺激を受けました。ただし、個人の意見をかなり率直に書かれているので、評価の分かれるご著書だと思います。読み手責任でご判断ください。

江崎氏は平成元年に現在の経産省に入省され、不公正貿易への反論、ベンチャーマネー市場の開拓、外為管理の規制緩和、気候変動・温暖化行動計画、岐阜県での外国人労働者の救援、再生医療促進の法整備など、他省庁が主管する仕事の抜本的な変革の基盤整備に貢献した異能な現役官僚で、現在は国民皆保険制度の課題を克服する超高齢社会対策の構想のため、内閣官房健康・医療戦略室の仕事も兼務されているようです。

例えば、国民皆保険制度の課題克服でいえば、不足する財源をいかに確保するかではなく、主たる疾患が感染症やケガから生活習慣病、ガン、認知症など本人に内因する複合要因を理由とし完治する性質ではない疾病に変化しているにも関わらず、予防中心に転換せず、病気の発症を待って保険を適用するため、国民は高額医療適用を含めた豪華客船の利用が「権利化」してしまい、高齢者のQOLとは無関係に、「打てる手は尽くしました」というアリバイ医療の蔓延が医師と医療財源を疲弊させている、このままでは無謀な闘いとわかりながら致命的な失敗に突入したインパール作戦の二の舞であると、明解な解説を加えています。

また、ポスト京都議定書の第二拘束期間の目標値を設定する国際折衝では、北海油田利用、褐炭を使用する東ドイツ産業の閉鎖で新たな削減努力が不要なばかりか排出権取引で莫大な収入が期待できる英国とドイツが、1990年を基準とした新目標値の旗振りをしたカラクリが紹介されています。仮に日本が1990年比20%削減に同意した場合、年間14兆円の排出権を買い取る必要があり到底受けいれられない条件でしたが、洞爺湖サミットの成功をさせたい政府は1990年基準案に傾いたそうです。そこで江崎氏らは関係者の説得、米国との調整に尽力し、2005年比14%削減で決着をみたとあります。これが支持率偏重の大衆迎合政治の怖さですね。

江崎氏は同著のなかで、「当初は社会に必要とされた制度が時代や環境の変化によって産業の足を引っ張り国民の利益を妨げている事例に何度も突き当たった」「おかしいことはおかしいと主張する、引くべきところは引く、信念をもって誠実に取り組めば必ず誰かが助けてくれる」とその考えを述べられています。主管省庁は、政府の意向や多様な利害関係者とのしがらみで身動きが取れないので、江崎氏らは、まず経産省で外部専門家を使って論点整理などを行い、労力を惜しまず粘り強く説明を重ね、主務官庁の理解者や協力者を増やすアプローチを多用したようです。これが成功した要因だと私も感じました。

心ある組織のメンバーでも、根本的な原因はわかっていながら、自己否定する機会を得なければ将来の向けた新機軸を提言することは困難です。ましてや、組織トップが長期政権となり、権威をもってしまってはなおさらです。制度疲労や金属疲労という言葉がありますが、日本の社会は国家全体が疲労状態に感じられます。社会や環境の転換期を迎え、現実を直視せず、無為無策でその日暮らしを続ける社会は、それ自体が「害悪」なのではないでしょうか。江崎氏の著書を読みながら、いま日本国民が失っているものの大きさを改めて痛感しました。

高度成長体験の残像、政治の老害、最低でも今の生活が続くという現実逃避、パンとサーカスに踊る庶民等々、残念ですが我々の社会はここ30年くらいで、どこかで大きく道を間違ってしまったようです。人口減少・少子高齢化、財政の超赤字、社会保障の破綻など以前からわかっているのに、メスを入れなかった政治、それを批判しなかった国民の国家的怠慢のつけが現在の閉塞状況を生んだとも言えるでしょう。高齢者が蓄えに偏り、若者が低収入にあえぐ富の配分のアンバランスも、社会全体の思考停止につながっていると思います。少なくとも戦後の昭和は、持続可能な社会を想定して社会の仕組みを根本から考える努力を払ってきたような気がします。

人類未経験の超高齢社会に向けて、政治、行政、企業経営のいずれにおいても、徹底した未来予測、現状否定、明確なビジョンづくりが求められます。万能な処方箋はありません。あのときに考えておいてくれて良かったと、次世代や諸外国に感謝される社会や企業にしたいものですね。