ガバナンス論の混乱

日産元会長・ゴーン容疑者の事件以来、ガバナンスへの関心が低下する経営者が増えていると仕事仲間から聞きました。あんな事件を起こさないために多額の経営リソースを投入し、社外の監視役を増やしたところでどれほど意味があるのか、というのが大方の実感でしょう。

日産のガバナンス改善特別委員会からは、指名委員会等設置会社への移行、社外取締役の過半数化、会長職の廃止、社外取締役の過半数化、社外取締役を議長とする取締役会運営などが提言されていますが、その実効性についても冷ややかに見ている経営者が多いのではないでしょうか。重大な不正を働く社長・会長・CEOであれば、社外取締役が増えればなおさら手の込んだ隠ぺい工作をするでしょうし、被指名者の評価・適否などなんとでも説明するでしょう。

社外取締役は原則として報告された情報以外は知りませんから、マイナス情報にアクセスする実効的な手段なく社外取締役を増やしても不正に対する牽制になると思えません。私は、業務執行取締役を中心に、監視義務違反の取締役個人に対する多額の損害賠償、すべての上場会社役員に以後就任できない資格喪失ペナルティなど、トップの暴走や不正を阻止しないと役員自身が大変なことになる現実の不利益を示す以外に有効な対策はないと思います。ガバナンス後進国なのですから中途半端なルールは作らず、英国の上場会社ルールなど、世界でもトップクラスに厳しい対策を参考にすべきではないでしょうか。

現在の制度設計の中心となっている「モニタリングモデルの取締役会」をはじめとするガバナンス論は、経営を託された取締役や業務執行責任者が、暴走して株主の利益を害したり、自己利得をはかったりするリスクを抑制するため、70年代から欧米で試行錯誤が重ねられました。しかし、世界中を見渡しても、決定的な成功例を見つけるのは難しいです。儲け話を説明し、投資家から資金を集める株式会社制度の危うさはどこまでいってもゼロにはなりません。出資者と受任者の利益が相反することは、エージェント理論といって学問的にも説明されています。でも、社会インフラ、興産、経済発展のために必要なので、株式会社制度を残し、失敗と成功を繰り返しているのが資本主義社会の歴史です。

最近ではこれとは別に、株主資本コスト(ROE)、資本効率(PBR,PER)、将来キャッシュフローの現在価値を投資家に訴求するガバナンス論も経営者向けに喧伝されています。これらは、MBA的な経営理論やファイナンス理論に立脚するもので、日本企業には受け入れを事実上拒否してきた30年来の歴史があります。MBA資格取得で留学させた幹部候補が退社し、コンサルファームやファンドに活躍の場を求めたことからあきらからなように、当時はアレルギー反応を示す経営が圧倒的に多かったのです。率直に言えば、日本式で育った経営者や幹部には、そうした経営手法の必要性を理解できなかったのだと思います。90年代の日産自動車の凋落もコーポレートファイナンスの失敗が主要因であることが専門家から指摘されていますね。

さらに最近では、情報開示や株主との対話を充実すべしといった議論も多くなされています。上場会社には共通する要請事項ではありますが、さりとて企業の規模に関係なく一律で対応を求める必要があるのか、私は少なからず疑問を感じています。ガバナンス強化に努めた結果、かえって経営スピードなどを低下させてしまった中堅企業が、従来の体制・運用に戻すケースも増えてくるのではないでしょうか。事業、拠点、組織、財務に見合った取捨選択が可能なルールやガイドラインが必要だと思います。

そもそも日本企業の上場目的は企業イメージの向上や優秀人材の採用にあり、できれば株主に口出しをして欲しくないというオーナー的センスが強いようです。そうであれば魅力ある投資対象になることに腰が引け、ダブルスタンダードでよしとするのも当然でしょう。東京証券取引所が、プレミアム市場、スタンダード市場、振興市場などに整理して、海外投資家にもアクセスしやすい環境に変えたいと言い出したのも、将来に向けた適切な交通整理と評価します。

現在、様々な背景のガバナンス論が飛び交い、言葉の空中戦になっている印象すら受けます。私はMBA的な経営理論を好みませんし、選択肢は多様であって構わないと思います。そもそも、30年間以上学習せず放置してきた日本の企業の経営者に突然の宗旨替えを求めるのは無理な気がします。4月25日の日本経済新聞Opinion欄に、上場異議を問い直す投資市場、経営者、社外取締役の意見が要領よく説明されていますので、読者がご存知の実態と比較されるとよろしいかと思います。

官製のガイドラインやコード類に依存する必要はありませんし、創造力にかけた経営に見えてしまっては本末転倒でしょう。もう一度、各企業がおかれている状況を俯瞰し、歴史的経緯と制度設計の本質を踏まえ、将来の経営にどの部分をどのように活用するかを考えるのが、最も実のあるアプローチではないでしょうか。社会や投資家に対する責任を基本に据えた経営を考えることは大事ですが、流れに流されて自社の強みを見失わないよう、頭を使い腹を据えて踏ん張りましょう。

デジタライゼーション・AI・ロボットと労働の質的変化

私は1984年に富士ゼロックスに新卒入社して以来、企業法務の仕事を20年担当しました。また、経営法友会で文書管理や知的財産管理などの実務マニュアルの作成にも携わらせていただきました。私が在籍した頃のゼロックスは自由度の高い最先端の企業で、AI事業部ではsmalltalk-80やinterlisp-DなどのAI関連製品、米国パロアルト研究所ではアラン・ケイ氏のDynabook(モバイル・コンピューターの原型)、マーク・ワイザー氏のユビキタス・コンピューティング論(コンピューターが生活環境の一部に組み込まれる状態)など現在の情報社会につながる礎を提供してきました。

法務を担当していた当時から痛感していたのは、膨大に見える業務情報も一緒懸命に標準化してみると、かなりコンパクトに集約できることです。将来機械に取って変わられる可能性は皮膚感覚として理解していました。プロジェクトファイナンスの分厚い英文契約で相手のトリッキーな条項を見落として10億円以上の損害を生んでしまった他社の友人もいますが、チェックポイントと許容条件を標準化しておけば防げるミスだったと後で話したの覚えています。人間は無限の情報から取捨選択しているつもりですが、それは錯覚で、実際に使う情報はたいしたことありません。

野村総研が2015年に「日本の労働人口の49%がAIやロボット等で代替可能になる」とリリースし、事務系の仕事はいずれも100%近い代替率が、税理士・会計士・社労士などの仕事も80~90%の代替率が示され、働く人々に激震が走りました。この潮流では質的な変化も重要です。

従来のデジタライゼーションは、人が仮想空間のクラウドにアクセスして情報やサービスを享受してきましたが、現在進展しているデシタライゼーションは、現実空間からビックデータが仮想空間に集積され、それをAIが解析・加工し、現実空間の人々に様々な有効情報やサービスが提供される形が増えてきます。ですから、人材配置、業務事項と優先順位、スケジュール、進捗管理、アウトプットの品質管理等々のマネジメントも、多くはAIやロボット等におきかわることでしょう。さらに、こうしたデシタライゼーションが進めば、テレワークなど時間と場所に拘束されない就業が容易となるので、それを原則とした就業形態や業務プロセスの再構築も当然必要になるでしょう。

こうしたデジタライゼーション、AI、ロボットの流れを踏まえると、今後の日本企業は、専門サービスは外部調達、調達・製造・労務サービスはロボット、コントロールはAIに依拠したマネジメントという構成にならざるを得ないのではないでしょうか。以前は技術革新があっても再教育・置き換えや関連の新業務の増加で失業者を回避できましたが、今後の変化は置き換え困難な対象者と必要な対応スピードが異次元に異なるように思います。企業内に抱え込んだ労働力を育成して新しい技術や市場の変化に対応する従来の雇用システムでは追い付かず、即戦力やスペシャリストを買う時代になるのは必然でしょう。

現在、残業上限規制、同一労働同一賃金、ホワイトカラーエグゼンプション、外国人実習生の受入増員など、新たな労働ルールが投入されていますが、これらも早晩役割が終わり、新たな役割・方法に即した労働ルールを根本的なところから作り直す必要が生じるかもしれません。特に、企業から外部調達される個人営業の専門家が「名ばかり個人事業者」にされて不利益を被らない、専門家の能力評価を客観的に示すシステムを構築して対等・公正な専門サービスの取引市場を構築するといった政策は重要になるでしょう。

仮にこうした社会インフラが十分に手当てされるとして、若手社員や次世代の人々は意識をどこに置くべきでしょうか。従来の社内育成型ジェネラリストや代替可能な労働力の雇用が激減することを考えますと、まずは一定の専門性とITやデータを使いこなせる能力を早い段階から磨き、自身の非雇用価値を高めることに意識を置くべきでしょう。それには、将来の社会や企業で何が求められるか、学生時代から基礎を積んで質の高い人的ネットワークに加わり、創造力を伸ばすことが重要になってきます。

次に、就職先を決めたら、将来食べていける専門分野を探し、30代前半まで国際規模で徹底的に知識、経験、人的ネットワークを身に着けることでしょう。最初から専門性を絞りすぎると実需とかけ離れるリスクがありますので、「置かれた場所で咲く」くらいの気持ちで目の前の課題に集中しているうちに道が開けてくるのではないでしょうか。

プログラミングやITツールへのアクセスの必修化が小中学生から始まるようですが、データサイエンスや企画・プレゼンテーションなど現場で役立つ実践的な訓練も増やせるとよいと思います。学校の教員だけでは無理ですので、そうした場面では企業の現役社員やOBをどんどん活用するとよいでしょう。そうした次世代育成のCSRが増えることも期待しています。

自助の心を支える共助システム

2006年、 グラミン銀行 の創始者であるムハマド・ユヌス総裁がノーベル平和賞に選ばれて以来、低所得者層に経済活動資金の借入機会を提供し、仕事や生活の改善を支援するマイクロファイナンスが世界中で広がりました。グラミン銀行は5人一組の連帯責任のグループ貸付制度が成功要因と言われてきましたが、それを制約条件と嫌がる借り手や他の借り手に返済を押しけるタダ乗りなど、マイナス面も指摘されています。

以前、このマイクロファイナンスを調べているときに、江戸時代の二宮尊徳翁が「五常講」という制度を作り、600を超える農村を再建したことを知りました。これは、無利子・無担保で少額融資を行い、返済したあかつきには恩に報いる意味で農民が自主的に2回分多く支払うことを基本としていたそうです。返済された資金は他の農民に貸し付けられ、融資を受けた農民も劣等感を抱くことなく、自立と労働に向けたモチベーションを維持できる仕組みになっています。もちろん、尊徳翁は自ら報酬を受けることはありませんでした。

この「五常講」の一つひとつが実に人間共同社会の核心をついており、私たちが見失った大切なことを再認識させてくれます。五常講は、多少でも余裕があれば困っている人のために資金を差し出すことを「仁」、借りたお金は必ず返すことを「信」、借りたお金は自主的に正しく返済することを「義」、返済したら感謝を冥加金や貸付金などの行動で示すことを「礼」、どうすれば迅速確実に返済できるか工夫することを「智」の五つのルールで運営されたそうです。

まさに、「道徳なき経済は罪、しかし経済なき道徳は寝言」という尊徳翁の現場主義を具現化した仕組みですが、ここで大切なのは、共助システムが成立するには、ベースに自助の心と道徳が必要ということではないでしょうか。冒頭のマイクロファイナンスが増えると、金利競争や不正融資が増えるでしょう。また、NGO、ボランティアなど共助システムを運営すると、やってもらって当たり前、配分が不公平、と不平不満をぶつける被支援者が現れ、運営側を困らせることがあります。せめて自分たちができることは自分たちでも手伝うといった非支援者が多い活動は、建設的で多くの協力者が現れます。

尊徳翁の五常講は日本的な感覚がもとになっているものの、人間社会のルールとして普遍性が感じられます。社会保障制度を中心に限られた社会資源で公助や共助のシステムを再構築する時代を迎えるにあたって、こうした自助の精神と道徳をどのように考えていくか、我々は大いに参考にすべきではないでしょうか。