人材投資の進め方の難しさ

9月14日付け日本経済新聞の社説「人への投資は費用対効果を吟味せよ」は、政府の看板政策「人づくり革命」を議論する有識者会議の設置について、その狙いを肯定したうえで、限られた財源から優先順位をつけて効率的な投資をする難しさを指摘しています。

「単なる予算要求会議にならないように世代間の公平な負担についても議論して欲しい」との提言もまったく同感です。「人づくり革命」など上から目線の表現ではなく、「世代間不公平解消促進」と名付ければ問題の本質が広く理解されたのに残念です。

さて、同社説も指摘するとおり、人材投資は、成果の検証や投資の効率化が非常に難しい領域です。社員研修も、将来のありたい姿と現状とのギャップ、並びにギャップを埋める方法・対象・タイムテーブル・達成目標、効果測定の方法・評価基準などをよく詰めてから進めませんと、時間とお金の無駄遣い、受講者のモチベーションの低下につながりかねません。

世間の監督や批判が厳しくなった現在、薄っぺらな知識では自分と家族の生活を守れません。担当業務の目的や根拠を理解する、何事も注意深く丁寧に進める、自分の能力を過信せず他人のチェックを積極的に受ける、といった職業人の責任ある行動を職場に徹底する具体的な手段を、私のコンプライアンス研修では説明しています。

特に私がコンプライアンス研修で役員や管理職のみなさんに念押しするのは、①「知っている」と「わかっている」は違う、②「わかっている」と「できる」は違うという点です。「法律や規則の説明を受けたから理解したとか」、「今日からでも実行できる」といった安易な反応は徹底的な排除していただく必要があります。

また、研修をしたからといって受講者全員の行動が一律に改善するわけがありません。注意深く丁寧に行動する人が増え、それにより職場の規律や抑止力が段階的に改善するのであって、短期間で明確な成果を把握するのは困難です。

いくら投資しても残って欲しい人材の何割かはキャリアアップや独立自営を選ぶ傾向があります。経営トップの交代や幹部の人事異動で優先順位や規律が変わってしまうのも組織の常です。そうした壁にあたりながら粘り強く継続するほかありません。

もうひとつ、他人のお金で学ぶのと自分のお金で学ぶのでは、真剣みがまったく違います。私は社会人大学院で非常勤講師を務めていますが、企業や組織の負担ではなく、全員が就業後に自腹で勉強にきていますので、効率的に有効な情報を入手したいという気持ちがストレートに伝わってきます。それが教える側の質の向上にもつながります。

国が奨学金や助成金を提供すれば、それは形式的な卒業資格や教える側の雇用にはつながると思いますが、税金の使い方として正しいかは疑問です。同じ問題は社員研修にも当てはまります。本来は、社員が欲する職業能力を社員が自己投資で高める、会社はそれを一定範囲で援助する、といった基本設計で進めませんと、株主のお金の使い方として疑問を呈される可能性は大きいと思います。

社員研修は荒れ地に木を植えるような作業です。でも、株主のお金で研修するのですから、理解度確認テストのような形であっても、目標達成の度合いを見える化しなければなりません。コンプライアンス推進担当のみなさんは、研修を何回実施したといった形式ではなく、質的な改善にどこまで肉迫できたか、説得力のある効果確認を考えてみてください。

五月雨的ですが、人材投資、社員研修について考えるところを書いてみました。

社員の契約詐欺被害を顧客に直接確認する手法の可否

先日、私が契約加入している某生命保険から「重要なお知らせ」の郵便物が届きました。開封してみると、「同社の元社員  ○○(具体的な氏名) ○歳 退職時に○○(○○県)支社所属が不正の商品加入手続を装うなどして顧客から不正に金銭を詐取していた、同様の取引に関して不審な点があれば返信用はがきを申し出て欲しい」という趣旨でした。

私が不正調査の方法を指導された20年前くらいは、本人の名誉を棄損する可能性があるので、いくら不正の調査といえども、個人を特定できる情報を不特定多数がアクセスできる方法で開示すべきではないといわれていました。某生命保険の調査方法はこれと正反対です。

そこで、金融機関の不祥事対応に詳しい弁護士さんに尋ねたところ、公式ホームページでの公表、新聞での公告、他の顧客への照会は、余罪が十分に疑われるもの本人の自供で解決できない緊急避難的なケースにおいて、隠れている被害を掘り起こす手法として金融機関や保険業界ではスタンダードな対応となっている、とのことでした。確かに、ネットで検索してみると同様の情報開示が次々と現れます。ここまでの状況になっているとは知りませんでした。コンサルタントとして大いに反省です。

金融庁がフュデユーシャリー・デューティーを重視する方針を打ち出している金融機関や保険業界では、被疑者の利益(名誉)よりも顧客本位の業務運営が優先される、会社に迷惑をかけたのだから本人は不利益を甘受すべきだ、ということなのでしょう。たしかに契約詐欺に気付かない顧客が将来ダメージを負うことはあってはなりません。業界の対応は一致したものと見受けます。

その一方で、私のような仕事をしていますと、過ちを犯し、厳しい制裁を受け、損害を賠償したうえで、再就職して人生をやり直している人々を、陰ながら応援することがあります。実名が公表されますと、犯罪事実を知らなかった近隣や友人にもバレてしまい、インターネット上の情報は事実上永久に残り、再就職の採用プロセスで検索されて不合格となり、社会復帰の障害となる可能性は避けられません。

仕事のクライアントから相談を受けたら私はどのようにアドバイスするか考えてみました。状況証拠から余罪が十分に疑われるケースにおいて追加調査を断念する選択肢は難しいと思います。中途半端な調査では監督官庁から経営姿勢を疑われる恐れもあります。他の調査方法が考えられないのに、加害者個人の名誉を尊重するあまり、監督官庁を敵に回し、市場の信頼を損ねるのは、ビジネスの感覚として受け入れがたいでしょう。

やはり、経営判断としては、本人の承諾を得たうえで同様の手法で追加調査することになりそうです。でも、赤信号、みんなで渡れば怖くない、といった強引さが心に引っ掛かります。本人は残りの人生をどのように過ごすのでしょうか。弁護士さんのなかにも、個人の名誉を侵害する可能性が高い調査方法は実施すべきでないと指導する方もいらっしゃいます。

お前はどちらなんだと怒られそうですが、人生のやり直しに寛容な社会であって欲しいと願うコンサルタントとしては、なかなか答えの出ない問題です。なお、ご存じとは思いますが、個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は,法的保護の対象となります。公表記事等の削除を要求できる条件については、 平成29年1月31日の最高裁第三小法廷決定が参考になりますので、興味のある方は読んでみてください。本件の問題を考えるにあたり、とても参考になると思います。

コンプライアンス活動の転換期

先日、知人の紹介で、ある企業のコンプライアンス部長から相談を受けました。今年の倫理強化月間を控えて担当役員から改善要望があったのでどう対応すべきか意見を聞きたいとのことでした。

同社の倫理強化月間では、社長の訓辞、職場単位での行動規準の読み合わせ、課題の職場討議、誓約書の提出が標準メニューになっているところ、担当役員から「形だけの活動で現場の不満が多い、改善せよ」と指示されたとの相談です。実は、このパターンの相談が最近増えています。企業のコンプライアンス活動が転換期にはいってきた兆しだと思います。

私は、過去にお手伝いした企業の社長の例をお話しました。その社長は、担当部署が作った行動規準の意味がわからない、どうして人権、労働、環境、賄賂といったテーマが必要なのか、自分が納得できなければ部下に指示はできない、とのことでした。

そこで、各々のテーマについて企業活動による「負の影響」が国内外でどのように生じたか、どのような方向でルール作りや対応が進んでいるかを概説しましたところ、役員全員にそれを教えて欲しいと依頼されました。結局、毎月の役員会の後に一時間、合計4回、大学の講義のようなことをしました。

その後、各テーマと自社の事業との接点は何か、何を優先順位とすべきか、だれがどのように取り組むか、といった議論を重ね、行動規準の「活動計画」が完成するまでの1年間、行動規準の原稿はお蔵入りとなり、発行する際には社長の匂いがプンプンする内容に書き改められました。コンサルタントの出番は、その意図するところを明確な表現に修正する作業だけでした。

コンプライアンスやCSRは、社会における会社の在り方のデザインにほかなりません。目指す方向と目標、現状とのギャップ、判断の優先順位を経営が明示しないことには前進できません。他律的に与えられるものではなく、自社の存在意義、そのための必要条件を考え抜くプロセスでもあります。

前記の社長は、「法令遵守は当たり前、本業を通じて地域の公共課題に寄与する」という方針(なんとEUのCSR戦略の考え方と一致します)を示し、地域に居住する社会的弱者の自律支援や生活支援に事業を広げ、自治体とNGOとの協業に頑張っていらっしゃいます。久しぶりに会社をのぞいたところ、社員の皆さんの表情が以前よりずっと生き生きとしている印象でした。

すべての企業がこのように進められるわけではありません。しかし、形だけきめて現場に投げっぱなしでは、いずれ反発を招きます。社員が誇りをもって所属する企業であるためになにをするか、経営の教養、洞察力、想像力が試されるのがコンプライアンスやCSRだと思います。経営が本気で取り組めば社員もついてきます。次の段階のコンプライアンスやCSRはどうあってほしいか、皆さんも考えてみてください。