技術の進歩と倫理判断

CNNの報道によると、「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」という極めてまれな退行性の難病に侵され末期状態にある生後11カ月のチャーリー・ガードちゃんに対して治療を続けるべきか否かの議論に注目が集まり、バチカンやトランプ大統領も意見を表明する事態になっています。

主治医である英国の医師団はチャーリーちゃんが生命維持装置なしに生きられる可能性はないとし、英最高裁と欧州人権裁判所も、病院が生命維持装置を外すことを認める決定をすでに下しています。これに対して両親は、遺伝子科学による実験的な治療法(この病気への適用例はなく成功率は低いと英国医師団は考えている経口薬投与による治療)を米国で受けさせることを希望しており、英高等法院は治療法についての「あらたな証拠」を検討するため審理を再開したそうです。記事からはよくわかりませんが、英国の病院は米国での治療開始まで延命治療を続けることや患者の転院に協力したくないということなのでしょう。

一連の事態にバチカンは、「最期まで子どもに寄り添って治療に当たることを両親に認めるべき」とのフランシスコ法王の見解を明らかにし、バチカンが運営するローマの小児病院が受け入れを表明しました。また、米国トランプ大統領も「イギリスのそして教皇の友人として、幼いチャーリー・ガードを助けることができるなら喜んでそうします」とツイートしました。

欧州の主要国は、肥大化する医療費の削減策として、老化・老衰は病気ではないとして医療行為とは別の「看取りのプロセス」に移す政策を推進してきました。このように医療行為の限度を合理的に割り切る考え方、将来の医療行為を前提としない延命措置によって他の患者の治療機会を減らすべきでないという考え方が病院関係者に定着し、それが本件での英国医師の対応の根底にあるように感じます。

こうした問題は倫理学上、命の自己決定権と医療がかかわる限度をどう考えるか、乳幼児の自己決定権を両親がどこまで代理できるか、回復の見込みがないと誰が何を基準に判断するのか、という形で議論されます。筆者も、女子大で倫理学の講義を担当していた際には、妊娠中絶や出生前検査、優生思想などの倫理学的アプローチについて学生と語り合いました。

近年、技術の進歩が我々の生命観や倫理観を追い越して、「判断基準の空白地帯」に入り込む事態が発生しており、CSRやコンプライアンスの領域でもそうした「悩ましい事態」は確実に増えています。これからの時代は、法律や命令に受動的に従うのではなく、人類の歴史や先哲の智慧に学ぶ姿勢、そして異なる立場の人々とルールメイクする能力がますます求められることでしょう。