社会保障とCSR(企業の社会的責任)

8月25日付け日本経済新聞夕刊では、厚生労働省が今年度当初予算と比べて2.4%(7,400億円)増額の31兆4,298億円と、過去最大の概算要求をまとめ、自民党厚生労働部会に示したと報じられています。

同記事によると、厚生労働省は高齢化や人口構成の影響を加味した、社会保障費のいわゆる「自然増」を6,300億円と見込んでいるそうで、政府が打ち出している3年連続自然増5,000億円以内の方針が実現できていません。「膨張する社会保障費に歯止めがかからない」という解説が国民の肩に重くのしかかります。

社会保障制度は、国民一人ひとりの自助を基本としながらも共助のシステムで補完して、国家統治の正当性、社会分断の回避、生活困難者のセーフティネット、さらには産業・雇用創出の経済効果をはかる、自由主義・民主主義を支える根幹の制度です。1990年代にヨーロッパでCSR(企業の社会的責任)が提唱され、社会から排除された人々に志の高い企業が雇用と職業訓練を提供したのも、財政赤字や移民労働者の流入が重なって欧州各国の社会保障制度が機能不全に陥り、ヨーロッパ社会の持続可能性が脅かされたからにほかなりません。

生産年齢人口が減少するのに高齢化が進む今後20~30年間は、日本の経済と社会保障にとって胸突き八丁の正念場となることが確実です。人口減少は構造的な景気低迷とデフレを生みます。社会保障のうち医療や年金も保険料収入では追い付かず、公費の比率が上昇すると思われます。しかし、人口減少の社会では構造的な経済低迷やデフレが起こり、特例的な赤字国債発行で覆い隠している財政赤字は早晩破綻します。

政府・行政の歳出予算も社会保障サービスも削れるだけ削った感がありますが、収支のバランスがあまりにも悪く、将来への不安から、高齢層の過剰貯蓄、若年層の貧困が生まれています。いくら歳出を削っても、プライマリーバランスが達成できていない状況では焼け石に水でしょう。自助の基本に戻り、社会保障サービスを下げ、企業や国民に公平な負担増を求め、雇用対策は別に考える、といった考え方以外に、あまり選択肢はないように思います。

「痛みを伴う改革には慎重な声も根強い」という認識は対策を遅らせ、影響を悪化させます。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(塩野七生「ローマ人の物語」で紹介されるカエサルの言葉)というフレーズが思い起こされます。

政治家の選挙対策で高齢者を優遇しすぎるのが原因という説もありますが、すでに社会保障の恩恵を受けている高齢世代は、増税による社会保障充実を選択する比率が若者世代より高いという研究結果の報道もあります(8月28日付け日本経済新聞)。過剰貯蓄している高齢世代の方が、社会の結びつきを考える余裕があるとも考えられますね。

総理大臣に役人が忖度したとかしないとかの些末な話はもう結構です。政府には、人口動態に基づく客観的なシミュレーションに基づく問題点と国民の安心・安全を守る実現可能な方針・計画の説明、公明正大な場での民主的な議論を強く希望します。そして、与党も野党も政治家は、しっかり説明責任と提案責任を果たして欲しいと思います。そのうえで、企業経営、労働者組織、経済弱者代表がテーブルについて協議するのが合理的な手順ではないでしょうか。その流れで「日本の持続可能性」のために企業経営が新たな役割を引き受けたとき、本質的なCSRの議論が始まると思います。