東芝危機と企業統治  日経新聞記事を読んで

10月1日~10月3日の日本経済新聞の記事「東芝解体~迷走の果て」は、暴走した歴代社長の3氏が去っても東芝の企業統治が機能不全なのはなぜかという視点で問題の根源を描写し、日本を代表する企業の統治不全について考える秀逸な論稿でした。

私が特に注目したのは、「(土光改革の後も)変われなかった東芝。とりわけ根深く残ったのは統治不全で銀行、政財界、役所の横やりを受けやすい体質と官民一体の意思決定メカニズムでもあった」、「たとえば、東芝の売上高の半分以上は現在も電力会社や自治体、防衛省向けの製品、サービスだ。電力は経産省と東京電力で絵を描き、東芝が製造する。そんな分業のヒエラルキーが色濃く表れ、進んだのが西田氏時代のWH買収でもった」とのくだりです。

2,3000億円の利益水増しが発覚した2015年、「東芝はこの先倒れると思うか」との日本経済新聞の記者の質問に対して、「国策会社なのだからあり得ない。なんらかの措置が提供されるはずだ」と答えた記憶があります。国策会社であれば、民間企業の経済合理性や説明能力を超えた「長期的な国益」という判断要素が加わりますし、それを理解している取締役会のメンバーが社長の提案を追認せざるを得ない重層的な構造があったのではないかと私は推測しています。

そうした伏線のうえに、国際競争に打ち勝つための重電分野への進出、その要となる原発事業の買収、買収入札での競争の激化といった大義名分のもと、債務超過のWHが持ち込んだ買収案件に異を唱える関係者がいなかったという記事の解釈は、大企業の経営を経験した方々には十分想像できる範囲ではないかと思います。

社外取締役がもっと頑張って抵抗すべきだったという意見もありますが、原発事業の専門家たちによる提案、国や銀行との事前調整、同社の存亡をかけた投資機会といった提案趣旨に対し、リスクの大きさを糺す材料が少なく過ぎたとのではないかと思います。

取締役会議長の筆頭社外取締役あたりの方が、取締役会の開催前に社長や担当役員と情報確認や協議を重ねたとは思いますが、純粋なビジネス以外の要素が混ざってきますと、社外の人間にはそれ以上に突っ込めない壁のようなものがあります。

公共インフラ事業の経験者であれば、リスクの喫水線を超えない助言が可能であったかもしれませんが、反対に過去の経験や常識が邪魔して判断を誤る危険も否定できません。どのような方々に社外取締役をお願いするかによって、また取締役会議長や筆頭社外取締役のリーダーシップで危機時の監督機能を強く発揮できるかどうかによって、企業統治の有効性は大きく左右されるのではないでしょうか。

半導体子会社の売却契約が締結され、上場を維持するには内部管理の整備が課題と記事にはありますが、半導体子会社の売却契約によって国や資金提供者の意向がこれまで以上に強く働くようになりますと、東芝の企業統治の形骸化は修復する機会を失うのではないかと心配します。今後、意思決定プロセスの透明性や取締役会の説明責任に配慮して頑張っていただきたいと思います。