いま日本の国民が失っているもの

それにしても昨日のゴーン元会長のビデオレター公表の狙いは何だったのでしょう。推定無罪の刑事裁判とはいえ注目すべき具体的事実もなく、かえって世間を敵に回した印象です。母国のフランスでもネガティブな報道があるようです。

入院中の読書で多くの学びを得ていますが、なかでも江崎禎英著「社会は変えられる 世界が憧れる日本へ」(図書刊行会、2018年)に大きな刺激を受けました。ただし、個人の意見をかなり率直に書かれているので、評価の分かれるご著書だと思います。読み手責任でご判断ください。

江崎氏は平成元年に現在の経産省に入省され、不公正貿易への反論、ベンチャーマネー市場の開拓、外為管理の規制緩和、気候変動・温暖化行動計画、岐阜県での外国人労働者の救援、再生医療促進の法整備など、他省庁が主管する仕事の抜本的な変革の基盤整備に貢献した異能な現役官僚で、現在は国民皆保険制度の課題を克服する超高齢社会対策の構想のため、内閣官房健康・医療戦略室の仕事も兼務されているようです。

例えば、国民皆保険制度の課題克服でいえば、不足する財源をいかに確保するかではなく、主たる疾患が感染症やケガから生活習慣病、ガン、認知症など本人に内因する複合要因を理由とし完治する性質ではない疾病に変化しているにも関わらず、予防中心に転換せず、病気の発症を待って保険を適用するため、国民は高額医療適用を含めた豪華客船の利用が「権利化」してしまい、高齢者のQOLとは無関係に、「打てる手は尽くしました」というアリバイ医療の蔓延が医師と医療財源を疲弊させている、このままでは無謀な闘いとわかりながら致命的な失敗に突入したインパール作戦の二の舞であると、明解な解説を加えています。

また、ポスト京都議定書の第二拘束期間の目標値を設定する国際折衝では、北海油田利用、褐炭を使用する東ドイツ産業の閉鎖で新たな削減努力が不要なばかりか排出権取引で莫大な収入が期待できる英国とドイツが、1990年を基準とした新目標値の旗振りをしたカラクリが紹介されています。仮に日本が1990年比20%削減に同意した場合、年間14兆円の排出権を買い取る必要があり到底受けいれられない条件でしたが、洞爺湖サミットの成功をさせたい政府は1990年基準案に傾いたそうです。そこで江崎氏らは関係者の説得、米国との調整に尽力し、2005年比14%削減で決着をみたとあります。これが支持率偏重の大衆迎合政治の怖さですね。

江崎氏は同著のなかで、「当初は社会に必要とされた制度が時代や環境の変化によって産業の足を引っ張り国民の利益を妨げている事例に何度も突き当たった」「おかしいことはおかしいと主張する、引くべきところは引く、信念をもって誠実に取り組めば必ず誰かが助けてくれる」とその考えを述べられています。主管省庁は、政府の意向や多様な利害関係者とのしがらみで身動きが取れないので、江崎氏らは、まず経産省で外部専門家を使って論点整理などを行い、労力を惜しまず粘り強く説明を重ね、主務官庁の理解者や協力者を増やすアプローチを多用したようです。これが成功した要因だと私も感じました。

心ある組織のメンバーでも、根本的な原因はわかっていながら、自己否定する機会を得なければ将来の向けた新機軸を提言することは困難です。ましてや、組織トップが長期政権となり、権威をもってしまってはなおさらです。制度疲労や金属疲労という言葉がありますが、日本の社会は国家全体が疲労状態に感じられます。社会や環境の転換期を迎え、現実を直視せず、無為無策でその日暮らしを続ける社会は、それ自体が「害悪」なのではないでしょうか。江崎氏の著書を読みながら、いま日本国民が失っているものの大きさを改めて痛感しました。

高度成長体験の残像、政治の老害、最低でも今の生活が続くという現実逃避、パンとサーカスに踊る庶民等々、残念ですが我々の社会はここ30年くらいで、どこかで大きく道を間違ってしまったようです。人口減少・少子高齢化、財政の超赤字、社会保障の破綻など以前からわかっているのに、メスを入れなかった政治、それを批判しなかった国民の国家的怠慢のつけが現在の閉塞状況を生んだとも言えるでしょう。高齢者が蓄えに偏り、若者が低収入にあえぐ富の配分のアンバランスも、社会全体の思考停止につながっていると思います。少なくとも戦後の昭和は、持続可能な社会を想定して社会の仕組みを根本から考える努力を払ってきたような気がします。

人類未経験の超高齢社会に向けて、政治、行政、企業経営のいずれにおいても、徹底した未来予測、現状否定、明確なビジョンづくりが求められます。万能な処方箋はありません。あのときに考えておいてくれて良かったと、次世代や諸外国に感謝される社会や企業にしたいものですね。