山口真由氏の「リベラルという病」(新潮新書)を読んで

山口真由氏の「リベラルという病」(新潮新書)を興味深く読みました。米国のリベラルとコンサバの対立軸を、政治、司法、性、人権、家族などさまざまなテーマで整理した良書です。

米国のリベラル派は、政治、司法、外交、人権、性差などのいずれにおいても、人間の平等や弱者の保護を性悪が対立するロジックで教条主義的に唱え、理念先行で積極的に介入して実現するのが正義である、と考える一途な傾向があると私は理解しています。同著はこの点を「建国以来の歴史と文化に根づいたリベラルとコンサバの対立」(同著から引用)から説くもので、「アメリカのリベラルは、人間の理性を信頼する。自然すら人間がコントロールできると信じ、彼らは畏怖しない。だが、それは、歴史が浅い国ゆえの妄信なのかもしれない。少なくとも日本の伝統は異なるはずだ。」(同著から引用)と自らの感想を述べています。

私のコンプライアンスの仕事では、同著でも触れている「ポリティカル・コレクトネス」で、日米の違いを感じるケースがあります。これは、人種・宗教・性差に対する固定観念や差別的意味を含まない、中立的な表現や用語を用いることをいい、80年代に米国の影響で広まりました。例えば、看護婦さんが看護師さんに変更されたのがこれにあたります。欧米の公職や上流の人々には定着していますので、仕事の場や公式の席ではポリティカル・コレクトネスが基準となります。しかし、私的な席では本音トークが交わされますので実際には二重基準となっているようです。欧米では立場のある方々のセクハラの告発が続いていますね。

一方、日本の社会ではフェミニズムのようなリベラルの圧力が少ないので、単なる名称変更と誤解され、注意を払う必要性があまり認識されません。例えば、セクハラの講習では、具体的な禁止行為は耳を傾けてくれるものの、「性差・性的嗜好・身体的特徴に関する言動、その他個人の尊厳を傷つける行為は職場に持ち込まないようにしましょう」と話しても、本質は理解されませんし、反応も微々たるものです。でも、日本企業の欧米拠点を対象に含む行動規範の策定等では、この点への言及を含めるケースが増えています。欧米人の担当タッフはすぐ理解してくれますが、日本の担当スタッフに理解してもらうのが大変です。

山口氏は、米国のリベラルを「人間の平等を宗教とする思想傾向」と位置付け、「アメリカの大地の下で合理的に響くリベラズムも、日本に場を移すと、とたんに肌になじまない。浮いた思想に映る」とご自身の感想を述べられています。私も同感で、特に社会規範の領域などでは、欧米の発展途上の概念を妄信的に直輸入するのは、長所まで壊してしまうので、危険なことだと思っています。

私の筆力では同著の真価をお伝えできませんので、ご興味のある方は是非購入してお読みください。いろいろな社会の出来事について、点と点が線でつながると思います。