安全対策の脆弱性を現場が経営に進言できるか

東急田園都市線で10月17日の午後4時45分頃、、視覚障がいのある男性が持っていた白杖(はくじょう)を先頭車両のドアに挟んだまま電車が出発する事故があったと報道されました。重篤な事故にいたらず、ほとんうによかったですね。

報道によれば、該当車両のドアのセンサーは幅15ミリ未満のものは探知できないそうで、ボールペンと同じサイズの白杖は安全装置が働かず、200メートル後方にいた車掌はドアに挟まった白杖が見えなかった、男性がドアから離れたので安全と思って出発した、とのことです。

現在普及が進んでいるホームドアの場合も、壁と壁の空間を無害の光線が上下に走り、危険物を探知する仕掛けになっていると聞きました。しかし、安全装置がカバーできる範囲には限界があり、ヒヤリハット事故は後を絶たない、カバーできない範囲は人間の注意力で補うしかない、と関係者から聞きます。

人間の注意力で補うにしても、ニュース報道番組で解説していた通り、車掌さんが確認するモニター画像は解像度が低いため、細いもの、小さいものは把握が困難です。解像度、再現力の改善を研究中とのことでしたが、その間にも視覚障がい者の危険は続きます。

こうした業務環境のなか、駅の現業に従事する皆さんは、経営に対して具体的な危険個所を示し、優先的な設備投資を迫ることができるでしょうか。現場の声に聴く耳を持ち、周囲の抵抗勢力を押し切って安全対策を実行する経営陣がいるでしょうか。企業の真のコンプライアンスが試されるのは、こうした場面だと考えます。

このブログで以前にも書きましたが、英国で内部告発保護法が作られたきっかけは、海峡フェリーの安全柵の不具合を船員が指摘したのに責任者が無視した為に転落事故を発生させた事件にあります。経営の自浄作用に頼るのは難しい、重大リスクを知る者は社会公共の利益のために告発して欲しい、告発者が解雇や不利益を被らないよう法律で保護する、というのが立法の考え方です。こうした考え方の背景には、政府や企業に任せきりにせず、市民が監視・牽制して自分たちの命や生活を守る自由主義の価値観がしっかり根付いています。

日本でも盲導犬を連れた視覚障がい者がホームから転落して列車にひかれる死亡事故が数年前に連続して発生しています。ホームドアが普及し、転落の発生率が低下しても、交通機関の施設にはいたるところに危険が残るのはご存知のとおりです。駅や電車の利用者が積極的にサポートする共助の精神が現実的な解決ではありますが、あまりにも危険な個所が放置され、経営層が対応を躊躇するケースがあれば、社会公共のための問題提起も正当化されるべきでしょう。

自由主義の基盤は公平と正義の観念です。他人の痛みを見てみないふりをせず、積極的に関わることが生きる基盤を確かなものとします。また、企業の自助努力に限界があれば、そういうところにこそ公的資金を投入して欲しいと私は思います。みなさんはどのように考えますか?