安倍首相に危機管理の失敗に学ぶ

加計・森友問題と防衛庁の日報問題に対する安倍首相の対応は、「危機管理の失敗」と私はとらえています。危機管理の観点で企業関係者の参考になる点を以下に述べます。なお、私は安倍首相と自民党を支持も不支持もしていませんので事前にお断りしておきます。

政治や行政、企業の経営、資産の運用を引き受けた者は、受託責任の一環として利益相反の禁止、透明性の確保、プロの注意レベルでの常時監督、説明責任の遂行などを「義務」として引き受けるのが社会一般のルールです。こうした義務は、「現在の地位や仕事は自身のものではなく主権者や株主から預かっている」という解釈に立脚します。したがって、個人の価値観ではなく受託責任に照らして判断・行動することが求められますし、義務を十分に果たせなかったり、違反したりした場合には、その地位を辞し、損害を賠償しなければなりません。

今回の一連の件は裁判ではありませんので、安倍首相の「行為」が問われているのではなく、安倍首相、関係行政、相手方当事者の間で発生した「事実」や、その事実から国民が受ける「心証」が問われていました。ですから、「悪魔の証明」や「印象操作」という言葉を使って自身の潔白を主張する姿は「ちっちゃな人物」という印象を国民に与えたと私は感じました。国民からの受託責任を正面に据えて「逃げない姿」を演出すれば、内閣支持率の変動も小幅に済んだのではないでしょうか。その意味では、身の潔白を釈明する場面と勘違いし、「論点と言葉の選択」を間違えたと思います。

そして、トップの地位にある者に疑惑を向けられたときは、堂々と被告席に座り、事実の調査と嫌疑の判定を公正な第三者に任せる以外に適切な方法はありません。企業不祥事の第三者委員会も、会社自身による説明が社会に受け入れられない状況で設置します。安倍首相は国会の委員会で野党の質問を受ける「持久戦」を選択しました。政治の世界なのでビジネスの世界とは同一に論じられないのかもしれませんが、与野党の合意の下に公正かつ中立な第三者調査委員会を設置してもらってその結論に従うのが危機管理ではセオリーといえるでしょう。

ちなみに「持久戦」は、相手の立証能力の欠如に乗じて、黒に近いグレー状態を立証不成立に追い込む高等戦術です。情報の非対称性が前提ですので、内部告発やネット拡散が前提の今日では、成功率はかなり低く、時代錯誤の闘い方だと私は思います。今回の一連の件では、文部科学省関係者や防衛省制服組の証言によって当初の門前払い作戦が崩れてしまった経緯が、まさにこれを証明しています。企業の関係者はくれぐれも「持久戦」を真似ないでください。調査公表のタイミングの遅れすら致命傷になりかねません。

私が一番驚いたのは、内閣改造の記者会見の冒頭で、国民へのお詫びだと称して、安倍首相が10秒間も頭を垂れたことです。企業不祥事の記者会見で経営陣が並んで頭を下げる画は「報道対応」の意味が大きく、いまや記者会見では定番メニューです。しかし、誰もが例外なく行うようになったことから、「本心から反省しているわけではない」「とりあえず形だけ頭を下げている」という逆のメッセージを発信してしまうデメリットもあり、その微妙な加減にコンサルタントは苦労しているくらいです。

ですから、あの状況とタイミングングで一国の首相が企業トップを真似て謝罪セレモニーを行ったことは大きな衝撃でした。リーダーとしての器に対する不信感を増大させ、逆効果だったのではないかと私は感じました。直後の世論調査ではあまり影響はなかったようですが、「謝罪ポーズ」の映像は、ボディブローのように後で効いてくるリスクがあります。

全体を通じて危機管理の伏線となったのは、安倍首相のお坊ちゃん育ちのイメージではないかと私は考えます。安倍政権が発する政策キャッチフレーズは、一億総活躍、人づくり革命など、上から目線で高慢な感じがしますし、子供の頃から「忖度」されたお坊ちゃまに下々の人間の気持ちはわからないという皮肉もよく耳にしました。最高責任者やスポークスマンがどのようなキャラクターかは、危機管理の方針やシナリオで重要な考慮要素となります。安倍首相の場合、質問にまともに答えず、言葉も上滑りで軽い印象になってしまったことで、わがままなお坊ちゃまの開き直りと映り、多くの反発を招いたのではないかと私は考えます。

最後に、今回の一連の件では、官房長官、国対委員長、関係大臣の「暴言・迷言」が火に油を注ぎ、組織的な不適正行為の印象を強めた側面もあると思います。ただ、組織トップが関係する事実に疑いが持たれた場面で、トップ自身がどのように立ち振る舞うか、受託責任の観点から反面教師とすべき事例であることは間違いありません。政治の問題としてだけではなく、組織の危機管理の材料として検討してみることを勧めします。