営業の自由と自治体への期待

7月12日付け朝日新聞デジタルの記事によると、大阪・千林、京阪電鉄の駅から徒歩1分の民間葬儀場に対して、周辺住民が営業の差止請求を大阪地裁に提訴し、第1回口頭弁論で葬儀場運営会社側が全面的に争う姿勢を示したそうです。

同記事によれば、両隣は民家と集合住宅、周囲にはラーメン店、衣料品店などが立ち並ぶ立地で、原告の住民らは開業1カ月前まで「事務所」と聞かされていたようですね。「公道上で遺体の搬入や遺族の見送りがおこなわれ、交通の妨げにもなっている」との原告の主張に対して、葬儀場運営会社の代理人弁護士は「住民側の主張には根拠がないと考えている。営業は正当なもので全面的に争っていく」と反応しているとのことで、いくら職業上の発言とはいえ虚しい気持ちになりました。

民間葬儀場は、自治体の開業許可は不要で、地域や設備の基準もないことから、同様のトラブルを全国各地で耳にします。仮に自治体がガイドラインを定めても、形ばかりの説明会で建設を強行されますし、自治体の調停手続も最初から調停不調を前提とした儀式のようなものがほとんどです。税金を納めて町の維持発展に協力している住民を優先する自治体を私は聞いた記憶がありません。高層建物の建設や太陽光発電施設の建設に対して景観や生活環境を守る反対運動でも、同様の事態が繰り返されています。

営業の自由に対する制限の限界という憲法上の制約は承知していますが、国立マンション訴訟の高裁判決、最高裁判決に見られる司法の保守的な判断も市民感覚から大きくずれていると私は感じています。これからの少子高齢化の社会で、頑張って生きている住民が安心・安全に暮らせる環境を守ることに比べ、一事業者の金儲けにどれだけの価値があるか、元市長の代理人は適切に主張し、裁判所は本当に比較衡量したのかと思います。

住民は、営業の自由や施設の有用性を否定しているのではなく、立地の選択を問題としているのです。しかし、金に目がくらみ、法律には違反していないとうそぶく事業者に倫理や配慮を求めても時間の無駄です。民民の話し合い解決には限界があります。善良な市民が犠牲になる状態を我々はいつまで傍観しているのでしょうか。

自治体の行政は法律・条令に基づくことが原則です。でも、最大限の影響力を行使する、住民優先の条例づくりを急ぐなど、不適切な営業計画と闘う姿勢はいくらでも示せるはずです。一般的な予防だけでなく、緊急事態や利害衝突への対応こそ、自治体の真価が問われます。住宅街での葬儀場建設、街並みを壊す高層建物、観光地・生活区域での小規模太陽光発電施設建設は、その典型例ではないでしょうか。

ある案件で私も被害者であるため、今回は少し熱くなってしまいました。読者の皆様、お許しください。

(追記) 7月14日、経済産業省は、今後の再生可能エネルギーの政策課題についての検討の場として設置した有識者会議「再生可能エネルギーの大量導入時代における政策課題に関する研究会」における論点整理を公表しました。小規模太陽光発電施設の建設には近隣地権者や居住者の事前同意を必要とする方向で論点の追加を希望します。