我慢・忍耐とS.O.S.の線引き

9月1日の新学期を迎える直前に、「無理に学校へ行かなくてもいい」「逃げてもいい」「死なないで!」と、児童・生徒に呼びかける声がWebサイトで次々と挙がりました。林芳正文部科学大臣も、会見で「決してあなたはひとりぼっちではない。誰にでもいいので悩みを話してほしい」と子供たちへ呼びかけたました。こうした発言対して、正直なところ、私は違和感を感じます。

学校・教育委員会の対応センスと透明性、子供がアクセスしやすい駆け込み寺の不足、そして後を絶たない残念な結末と課題は残るものの、切羽詰まった状況の児童・生徒の存在を公に議論できるようになったのはひとつの進歩だと思います。でも、単純に学校をさぼりたい子供に学校軽視の風潮を生まないでしょうか。児童労働で学校に行けない途上国の子供が聞いたら、どのように思うでしょうか。

数か月前に、お客様の依頼で、セクハラ被害を申し立てた入社2年目の女子社員と面談しました。入社してから上司のセクハラを何度も受け、2回も部署を異動してもらったものの、また最近、我慢できない侮辱を受けている、という申告内容でした。本人から聞いた3名の上司の言動は、センスの悪い20年前のジョークの類で、セクハラというほどのものではありません。

私は、女子大講師を務めていたのときを思い出し、本人に次のように話ました。
・ 社会や組織は、価値観・品位・言葉の違う人間の共同生活のようなもので、自分との違いを受け入れなければ、相手もあなたを受け入れない。
・ 一定の我慢や忍耐は必要だし、できれば相手を理解して受け入れる努力があなたの人生を豊かにする。
・ 3名の上司があなたに何を提供してあげたかったか想像して欲しい。それができたとき、心の底から自由を感じ、自分を好きになれるはずだ。他人のせいにして逃げるのはもうやめよう。

この本人は現在、職場や上司とも馴染んで、普通に働けるようになったと聞いています。この事例は、承認欲求が満たされない本人の不安が環境への不適応を生んだケースと私は理解しています。そして、被害の主張で自分を正当化し、周囲から見れば、上司と折り合いをつける姿勢もなく、我がままを言いたいほうだいの「お子ちゃま」に映ったのだと考えました。

私は、組織で働く人々には我慢と忍耐が必要だと思いますが、過労自殺やハラスメントによるメンタル疾患など悲劇的結末があるもの事実で、両者の線引きが非常に難しい問題です。特に親の庇護から巣立とうとしている若年者には、この組織や職場に受け入れられていると安心させたうえで、自分の意志で生きていく現実、生かされている自分を感じてもらい、現実社会に根っ子を据え付ける必要があります。そのうえで我慢と忍耐を教えませんと、ポキッと折れてしまいます。

学校も仕事も「無理に行かなくてもいい」「そんなに頑張らくなてもいい」と言いすぎると、自助の精神を失った怠け者の社会に転落するのではないでしょうか。もちろん、児童・生徒を助けたい方々の意図は理解していますが、言葉は自分の都合のいいように使われ、社会のムードを作るので、細心の注意が必要です。まず我慢と忍耐、このままでは倒れると思ったらS.O.S.という順番が崩れないよう、情報を発信していきたいと私は考えています。