人権侵害の救済

前回のエントリーで斎藤誠弁護士とビジネス人権ロイヤーズネットワークの活動を紹介しましたところ、「国連・ビジネスと人権に関する指導原則の第3章『救済へのアクセス』(権利及び義務が侵されるときにそれ相応の適切で実効的な救済をする必要性)のガイドラインを考えたいので、早く元気になって意見を聴かせてください」との熱い応援メールを斎藤先生からいただきました。コンプライアンスのコンサルタントにとりまして最も重要で、じっくり考えなければならないテーマです。少し長くなりますが、現時点での私の問題意識を述べてみたいと思います。

指導原則はビジネスと人権への取り組みの枠組みについて国連の人権理事会が2011年に採択した重要な国際ルールです。対象とする人権侵害の代表例として、ビジネスに付帯して発生する不合理な差別、強制労働・児童労働、性的搾取、生活基盤の汚染・収奪、労働基本権の侵害、いじめ・ハラスメントなどが挙げられます。こうした人権侵害を発生させたり関与・放置したりしないよう、自社・グループ会社、製造委託先、原材料調達先(地域)などを責任範囲として、予防・配慮・救済にあたる国家の義務と企業の責任の枠組みを示すのが指導原則の制定目的です。

指導原則の第3章で取り上げる「苦情処理メカニズムにより提供される救済」は、人権にもたらされた害を除去しまたは補償することを目的とし、救済手段は、謝罪、原状回復、リハビリテーション、金銭的または非金銭的補償、処罰的な制裁、行為停止命令などを想定しています。国は国家制度の一部として実効的な司法的メカニズムと非司法的苦情処理メカニズムの確保を、また企業は後者のメカニズムへの協働が基本的な義務や役割とされています。

さて、ここで私の問題意識は、侵害の原因を作っている経営や組織が問題の所在を改めず、表面的に解決に協力するポーズを取ることで、被害者の孤立や不利益など二次被害を助長しないか、被害者の真の希望と違う方向に向かわないか、誤った理解によって社会として臭いものに蓋をする結果にならないか、という危惧です。

イメージがつかみやすいよう、過剰労働やハラスメントのケースで考えてみましょう。相談窓口に助けを求めてくる社員等の多くは、経営が事実を把握し、そんなにつらい目に合わせて申し訳なかったと真摯に謝罪し、安全に働ける配置や環境を提供し直すとともに、経営・組織が適正な行動規準を学習して再発防止に努めることを希望します。補償の要求以前に、自分が間違っていないことを確認して自尊心と安全な生活を取り戻したい被害者が多いのです。

これに対して、「綺麗ごとでビジネスは進まない」、「例外を認めたくない」、「みんな我慢しているのに自分勝手・裏切者だ」といった経営や職場のプレッシャーがエスカレートし、被害者を相談前より不利な立場に追い込むのが組織の一般的な傾向です。昨日もTDL(千葉県)で労災被害を受けた元スタッフが職場復帰した際に「どのつら下げて来てるんだよ」「会社に謝った方がいい」と職場で圧力をかけられたと裁判で主張しているとのWebニュースが流れていました。

最大級の人権被害である労働災害ですらこの程度の反応です。これが組織の現実です。解雇禁止、不利益無効などルールを並べたところで、経営や組織の実力行使(排斥行動)の前に個人はあまりに無力です。被害者が裁判等で損害賠償の支払を求めるケースもありますが、己の名誉と自尊心を守るため、割に合わないことを承知で、しかたなく裁判を起こしているように私には映ります。

ですから、私は相談窓口設置のコンサルを提供するときは、まず、「ハラスメントは無知と劣等感に起因する恥ずべき行為である」、「目標達成に必要どころか会社にとっては業務妨害である」、「感情・表現をコントロールできないれば自ら組織を去って欲しい」といった役員・社員研修を実施させてもらい、被害に対する受け止め方の共通基盤を整えることから始めます。

社会的に正しい判断基準を持たない経営や組織に、苦情処理メカニズムの設置や対応を求めるのは、臭いものに蓋をする機会や陰湿ないじめを増やす危険があるからです。人間とは、自分の都合の良いように事実を捻じ曲げてしまう本当に弱い存在です。こうした現実に手を打たないと、どんな立派な規則や手続も「絵に描いた餅」ですし、逆に副作用を生んでしまいます

行政や法律家が現在進めている公益通報者保護制度の検討などもそうなのですが、手続モデルのディテールに入り込み過ぎて、「問題を適切に判断・対処できる経営・組織づくり」という本丸の議論が欠落しているように感じられてなりません。「常識的な判断は当然できるはず」などど戯言を言ってはなりません。それができないから手続モデルであぶり出し、プレシャーをかける必要があるのです。

指導原則も「苦情処理メカニズムによって提供される救済」という手続モデルの側面を記述していますので、そうした経営・組織の問題改善を組み入れて実践ガイドラインを考えることが肝要かと思います。そうでないと、よかれと思って作ったガイドラインが逆効果になりかねません。日弁連・第三者委員会ガイドラインや東証・コーポレートガバナンス・コードが「隠れ蓑」や「お化粧」に使われている現状がよい例でないでしょうか。

ところで、若手の弁護士さんと話をすると、裁判の勝率とか低廉での和解を自慢する人がいます。純粋な経済紛争であればそれでよいかもしれません。しかし、ビジネスと人権の紛争事案は、加害側が「悔い改め」、被害者が「赦し」、尊厳ある人間として対等に「和解」しなければ、真の解決、魂の救済に至らないと私の年齢になるとつくづく感じます。人間は誰しも、個人の尊厳が尊重されたと自覚できたときにはじめて、心優しく前向きに生きる力を回復できるのです。

人権の紛争は、被害者の心の痛みが加害者に100%理解されなければ救済に届きませんし、双方に取って良い未来となるような解決を調整しなければ近い将来必ず再発します。双方代理の形はとれませんが、賢い実務家はこの点の検討や説得を怠りません。そうした獲得目的で解決にあたらなければ、リーガルの論理的な整理、依頼者の利益中心のこむずかしい主張合戦に違和感を覚え、社会的弱者の心が離れていくのは至極当然です。裁判や強制的苦情処理など司法的手段は、漢方薬ではなく抗生物質薬なので病状は止まるが原因は治らない、当事者の自然治癒力による解決に勝るものはないと、特に若い弁護士さんには考えていただきたいところです。

国連・ビジネスと人権に関する指導原則の根底には、「人間を虫けらのように扱うビジネスや経営はありえない」、「個人の尊厳と健康を保障し能力を活かす組織でなければ企業にも未来はない」といった理想主義的な考え方が流れています。綺麗ごとと言えばそうかもしれませんが、自己利益だけを考える近視眼的な権力者や経営者が幅をきかせる時代だけに、(関係者の皆様には申し訳ありませんが)イワシの頭でもいいからシンプルな言葉で人々を前向きな気持ちで束ね、社会のバランスを図ることが必要だと私は感じています。少なくとも、そうした意識をもった経営や組織が人間社会や地球環境の未来を支えると信じたいです。

以上、私の問題意識を整理すると、手続モデルへの対応で経営や組織が仕事を終えた気になってしまわないよう、勇気ある問題提起を真摯に受け止めて経営・組織の改善につなげる学習行動をセットで考えていく必要がある、ということです。実践ガイドライン作成の参考になれば幸いです。